日本木造住宅産業協会

(一社)日本木造住宅産業協会(略称/木住協)は、木造軸組工法住宅等の普及と健全な発展に寄与することを目的とした法人です。

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住まいの情報

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頑張る会員企業訪問記

日本の気候風土には木造住宅

日本には四季があります。また高温多湿です。そんな日本の気候風土に一番合うのは木造軸組工法住宅。
素材である「木」の特性から、調湿性や吸音性に優れ、地球環境や人の健康にもやさしいのが最大の特徴です。
そこで、木住協の機関誌「木芽」に掲載している頑張る会員企業訪問記を紹介します。

大震災にお客様第一で対応 (株)一条工務店宮城(宮城県仙台市)

峯岸良慥社長3月11日に発生した東日本大震災によって、東北3県だけで1万5,000人を超す尊い命が失われ、いまだに3,000人を超す人々の行方が分かっていない。津波によって住宅や家財なども大きな被害を受け、営業活動を再開できない企業も多い。今回の「頑張る会員企業訪問記」では、震災の被害を受けたものの、いち早く復興に取り組んでいる株式会社一条工務店宮城(1種B正会員)を訪れ、この間の奮闘ぶりを取材した。震災直後には被害の確認やお客様の安否確認・修繕に奮闘し、社員たちは「休む暇もなかった」と振り返っている。企業の実力は今回のような非常時の際に発揮されるものだが、同社の取り組みは危機管理の面から大いに参考になると同時に、その企業行動は称賛に値するものがある。

株式会社一条工務店宮城(本社=仙台市若林区、峯岸良慥社長、資本金3,000万円)は、一条工務店グループ11社の中核企業の1社として、宮城県全域を営業エリアに住宅事業を展開している。実は東日本大震災の発生当日、峯岸良慥社長(66歳)はタイに滞在していた。成績優秀な社員を連れて、表彰のためにバンコックにいたのだ。「地震の発生を知り、押し寄せてくる大津波を現地のテレビで見ました。これはただごとではないと直感し、会社に連絡すると同時に帰国する準備に取りかかりました」と峯岸社長。

とはいうものの、会社とはなかなか連絡が取れなかった。何度目かの電話でようやく地元・宮城の状況が分かりだした。まず社員の安全確認を行い、幸い被害を受けなかった社員を2人1組に分けて、お客様の安否確認を優先するよう指示を出した。帰国も慌ただしかった。深夜に名古屋国際空港に降り立ち、新幹線で東京へ向かった。しかし、東京から仙台までの足の便がない。そこで以前から懇意だった一条工務店グループから社長専用車を借り受け、仙台の本社に戻った。発生2日後の13日午後になっていた、という。

いち早く次々に対応策を打ち出す「家守」の精神 社員たちも一丸になってお客様の安否など確認

吹き抜け空間がある明るいリビング初めは確認作業に追われた。峯岸社長は「幸いなことに社員は全員無事で、社員の自宅も被害は受けていても倒壊はなく、数人の自宅が床上浸水の被害に遭ったただけで済みました。対策本部を立ち上げ、優先順位をつけて対策を講じました。ISO14001を取得(2001年10月)した際の組織表が役に立ちましたが、普段から万一の場合を想定した役割の分担などを決めておく必要があると痛感しました」と振り返る。さらに「ガソリンが不足していたのでガソリン入手班を編成したり、炊き出し班も組織してペットボトルと一緒に握り飯などを運び、お客様や被災者の皆さんに喜んでいただくことができました」と語る。

本社社屋及び自社商品で建設した自宅は無事だった。電話も3月15日午後に復旧し、出社が可能となった社員が中心になって業務を再開した。この頃、東京などではまだまだ混乱していた時期。一条工務店宮城の素早かった対応には、かつての日本のどこにでもあった「家守」の精神が脈々と脈打っているようだ。今回の震災のような場合には、企業は速やかに行動することが求められる。その司令塔の役割を演じる経営トップの行動も重要になる。次々に手を打った峯岸社長と一条工務店宮城の矢継ぎ早の行動は、社員だけでなくその家族や被災したお客様の間から賞賛されている。確認作業を進める課程で、営業用店舗であるモデルハウスに津波の被害が発生していたことも分かった。一条工務店宮城では仙台市内の2ヵ所と宮城県名取市及び利府町に営業所を兼ねたモデルハウスを出展している。仙台市若林区には、構造や仕様のすべてを確認しながら一般的な工法との比較ができ、宿泊体験によって住み心地を確認できる「一条スタンダードホール」も建設している。

キッチンもすっきりとしているこのうちのひとつ、仙台市宮城野区の仙台港に近い「エコノハ仙台港展示場」のモデルハウスに、津波が押し寄せていた。他社のモデルハウスの中には、津波で流されてきた車が外壁に衝突して半壊状態になったものもあり、隣接するアウトレット施設は壊滅的な被害を被った。同社のモデルハウスも外部は約2メートルまで水に浸ったが、幸い気密性が高く内部への水の侵入はほとんどなかった。しかし、 コンテナから荷揚げして貯蔵していた部・資材はすべて流されてしまっていた。被害は甚大だったが、峯岸社長は「一刻も早くお客様のご要望に応えなければ」と思ったという。ここから、一条工務店宮城の奮闘が始まる。

現地に建てたお客様宅を、社員が手分けして訪問した。同社には新築事業のほかに自社責任施工でリフォーム事業を展開し、住まいのドクターという位置づけのA・R・S事業部を組織し、これまでに供給した累計で約2,600棟の顧客宅を管理している。「当然と言えば当然ですが、A・R・S事業部という部署があったからこそ、いち早くお客様宅に駆け付けることができ、補修などに迅速に対応することができました。お客様からは大変喜ばれました」と峯岸社長は胸をなで下ろしている。供給したお客様の住宅は地震被害はそれほど大きくはなかったものの、津波によって一部の住宅が被害を被っていたことも判明した。社員たちは日数をかけて避難場所に一時避難をしているお客様のもとにまで出掛け、安否の確認と状況の把握を続けていった。自宅の被害を見ながらお客様宅を訪ね歩く社員にとって、辛い日々が続いた。それでも、住宅メーカーに勤務する社員の責任として、毎日、黙々と辛い業務を続けたという。

高気密・高断熱住宅を中心に新築需要 リフォーム事業も今以上に強化・充実へ

キッチンもすっきりとしている東日本大震災の発生から9ヵ月を迎えようとしている。峯岸社長は「今でも被災地に行くと、自然と涙が出てきます。我々は今こそ行動を起こさないといけません。被災した方々に、震災前の生活に戻してあげることはできなくとも、一刻も早く救いの手を差し伸ばすのが、被災地で生かされた者、被災地で培っていただいた住宅企業の役割だと信じています」と語っている。一条工務店宮城では、東日本大震災の影響で発生から5月までの間、予定していた約40棟の上棟ができなくなってしまった。今、その上棟と震災後の復興需要によって、受注・施工ともに順調に推移している。しかし、施工が急に多忙となって職人が不足している状態が続いていることから、同社では秋田県や青森県から職人を呼び寄せ、工事を急いでいるという。峯岸社長は、「今こそ安心の家造りを勧める時期です」と強調する。同社では一条工務店が開発した「夢の家」などを中心に供給している。一条工務店の商品開発には定評がある。冬の寒さ対策が不可欠な宮城県での住宅供給では、高気密・高断熱仕様を施した「夢の家」は、「当地の住宅としては最適」と峯岸社長は自信を持っており、木造住宅の普及に拍車をかける考えだ。大震災後に、初期投資費用がかからず、一条工務店独自の太陽光発電システムを搭載した商品に注目が集まっているとも語る。

前3月期の実績は完工棟数で約150棟。今期の完工棟数は東日本大震災の影響によってほぼ横這いになる見通しだが、来期には「200棟規模に増えるのでは」と予想している。今回の大震災でお客様や被災者に十分な対応を行い、地元に根ざした地域ナンバー1の住宅企業として、一層の成長と発展を図ることにしている。峯岸社長の心配事は供給する住宅の規模の狭小化ということだ。「以前の平均的な延べ床面積は165m2が中心でしたが、今では155m2と規模が縮小しています。少子化や核家族化などが影響していると思いますが、何とかこの問題を解消する秘策を編み出したいと思っています」と語っている。加えて「一時的な復興需要はあるものの、長期的に見れば新築着工戸数は減少の一途をたどることは間違いありません。これに対応するにはリフォーム需要を如何に取り込むかが鍵になります。今まで以上にリフォーム需要への対応を充実、強化していきます」と付け加えた。

住宅の本質は「家族の幸福を支援すること」住宅供給を通じ一刻も早く被災地の復興を

一条工務店宮城では、住宅のあるべき姿・本質は「家族の幸福を支援すること」だという。住まい手の生命と財産を守ることが最低条件とも言い、「そのための様々な配慮を提供することが住宅企業の存在価値」と強調している。峯岸社長は仙台市の出身。生家は大正6年に創業した木材店だ。東北学院大を卒業して、東京・深川で2年間の木材修行を経験、その後にプレハブ企業に在籍したという経歴を持つ。木材と木造軸組住宅の良さや軸組工法以外の工法の良し悪しも十分に分かっている。母校の交友会の副会長も務めている。

峯岸社長は、「被災地では津波で流されて、お亡くなりになった被害者の皆さんを弔う献花を執り行う場所さえありません。社業も大切ですが、社業の傍らで今後3年間をかけて献花することのできる復興記念館などの建設運動を進めていきたいと真剣に考えています。そして住宅供給を通じて、一刻も早く被災地の復興に力を入れていきたいと思っています」と語っている。どこまでいっても震災弱者に優しい峯岸社長と、一条工務店宮城の家造りの精神を見たような気がした。

※協会機関誌「木芽」2011年秋号(Vol.141)より転載

当社のピカ1社員

お客様の感謝の一言に仕事の嬉しさ感じる 工事課係長 岩間 真寿(36歳)さん

工事課係長 岩間 真寿(36歳)さん岩間さんの日課は8時に出社し、朝礼と打ち合わせを終えて9時には建築現場の巡回に車のハンドルを握る。基礎や構造の検査が業務だ。「あの日」、岩間さんは1軒の現場検査を終え、次の現場に行く時に津波に被災した。海沿いの国道を走っていたら「真っ黒い波が車を追いかけてきた」と当時の記憶は今でも新鮮に覚えている。後ろを走っていたはずの車は津波に飲み込まれ、避難誘導をしていた警察官も殉職したという。何とか仙台に帰り、その夜は妹と車の中で明かした。翌朝、仙台空港近くの海岸から約2キロ離れた自宅に母親を探しに行ったが、警察官に止められてしまう。それでも腰まで水に浸かって母親を探しに行き、「無事を確認してホッとしました」と岩間さん。自宅は床上30センチまで水に浸かっていた。

東北学院大を卒業し、平成10年に一条工務店宮城に就職した。先輩社員からは「無類の頑張り屋」という評。検査現場から帰ってきても、請求書の発送やスケジュールの確認、翌日の業者の割り振り、職人の手配など休む暇もない。10人の部下から報告を受け、ようやく開放される。岩間さんは、「引き渡しの際にお客様から『貴方に現場監督をしていただき、本当にありがとう』と言われた時は、この仕事に就いて良かったと感じました」と微笑む。今でもそのお客様とは行き来をしているという。夢は「いつも社員や同僚が笑顔で仕事ができ、お客様から信頼されて『ありがとう』と言われる職場環境にしたい」という。さらに「お客様の不安や疑問点を前もって教えられるような人材になりたい」と続ける。プライベートでは「好きなバイクに乗り、日本一周を」ということが目下の夢。震災後、休みも満足に取れない中で、岩間さんの夢は広がる一方だ。

会社概要

設立

昭和62年6月

代表取締役

峯岸 良慥

本社

〒984-0801 宮城県仙台市若林区畳屋丁25-1

電話

022-211-1611(代)

ファックス

022-211-4437

資本金

3,000万円

従業員

93人

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