日本木造住宅産業協会

(一社)日本木造住宅産業協会(略称/木住協)は、木造軸組工法住宅等の普及と健全な発展に寄与することを目的とした法人です。

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住まいの情報

横山大観 邸 (株)根岸俊雄都市建築事務所 代表取締役 根岸 俊雄

上野の不忍池のほとりを歩いていますと、ビルの谷間に突然和風の高い塀と門が現れます。料亭みたいですが違います、表札に横山大観記念館と書いてあります。旧・横山大観邸です。塀越しに大きな立ち木が鬱蒼と茂っているのが見えます。中はどうなっているのでしょうか、たいへん楽しみです。

横山大観という人

イラスト:横山大観水戸生まれ

横山大観は、明治元年(1868)に茨城県水戸市に生まれ、10歳の時に一家で上京しました。大観は最初は建築家を目指しましたが、結局は東京美術学校に入学し日本画科の第一回生として卒業しました。その後は、恩師の岡倉天心が目指す新しい日本画のあり方に共鳴し、共に創立に尽力した日本美術院を主な拠点として活躍しました。

画風

大観の画風は、朦朧体(もうろうたい)と呼ばれた独自のものでした。これは伝統技法を踏まえながらも、没線描法や琳派に学んだ鮮やかな色彩表現などを取り入れたものです。大観は革新的な挑戦を続けながら独自の絵画世界を確立していったのでした。

国民的画家

大観のよく知られた絵には、「屈原」(1899)、「流燈」(1909)、「生々流転」(1923)、「夜桜」(1929)などがあり、そのほか「霊峰飛鶴」(1952)など富士山を描いた絵も沢山あります。大観は近代日本画を代表する画家となり、「日本画の巨匠」、ひいては「国民的画家」と呼ばれるようになったのでした。

大観邸の建設

写真-1:庭から客室棟を見る、左2階は母屋(横山大観記念館)アトリエ住居

最初の住居は、明治42年(1909)に現在地に新築され、大正8年(1919)頃には現在の広さになりました。自宅といっても画室付ですので、アトリエ住居というところですね。ところがこの建物は昭和20年(1945)の3月の空襲で焼失してしまい、大観は熱海伊豆山へと移り住むのでした。建て替えは、昭和29年(1954)に焼失した住居の土台をそのまま利用して行われました。大観は建築にあたっては、材料を吟味し、欄間や照明器具などは自らデザインし、完成したときには「(金を)使ってしまった」と言ったということです。大観がこの建物に住んだのは昭和33年(1958)九十歳で亡くなるまでのわずか4年間でしたが、ここで最後の制作に励んだのでした。

記念館

大観は生前に「私の死後はこの土地を財団法人に寄付し、公的資産として、日本美術界のために役立てて欲しい」と語ったそうです。そこで、昭和51年(1976)に「財団法人横山大観記念館」が設立されて、同年11月から建物の一般公開が開始され、和風住宅の中で大観芸術の数々を見ることができるようになったのでした。

間取り案内

写真-2:客室(鉦鼓洞)(横山大観記念館)建物への導入

建物へのアプローチは門と中潜りで二回折れ曲がり、雰囲気がだんだんと高まります。そして辿り着く玄関はなんと古風な式台玄関の造りで、履物を脱いで上がるところは庇や袖壁は付いているのですが吹きさらしの外部です。こういう玄関もなにか新鮮でいい感じです。玄関から入った正面は壁で、廊下を曲がりると突然中庭が現れます。壁は中庭を隠すためで、「オヤ、こんなところに庭が!」という驚きの演出なのでした。

楽しみの部屋

庭に張り出した客間がこの建物の一番の見所です。部屋は10畳の広さで、中央に囲炉裏が切ってあります。天井は拝み天井で葦が張ってあり、竿縁などは細丸太です。床柱は枝打ち跡が残る自然木です。そして、書院の花頭窓や床脇の厨子枠などには曲線が使用され、またそれらや囲炉裏枠には少し赤味のある色が見られ、ほんのりとした華やぎが醸し出されています。全体的に素朴な民家風の造りですが、ところどころに粋な和風の意匠がなされ、この按配がとても心地良いのです。

仕事の部屋

大観は元気なうちは2階の広い画室を使用しました。そこからは不忍池が見渡せ、また下方には建物の中庭も見えます。晩年の大観は2階の画室に登るのが大儀になり、1階の第二客間を画室としましたので、もう大きなサイズの絵は描けなくなったということです。

庭と一体化した住まい

写真-3:晩年の画室(第二客間)(横山大観記念館)日本の住まい

日本の住まいは、建物を取り囲む庭が備わらないと完成しません。大観邸の客間を見ますと、これぞ日本の住いという感を強くします。大観邸の庭には、池や石や燈籠や手水鉢などが配され、キョウチクトウ、ツバキ、ヤマブキ、ガクアジサイ、ノリウツギ、ヤマブキ、ウメ、モミジ、オオシマザクラなどが植えられています。かつては茶室や稲荷もありましたが、戦災で消失したということです。

竹林の中の小屋

大観邸の客間の座敷は、庭レベルより約90cm高く石積みした上にさらに床を約30cm高くして造られています。部屋の廻りには縁が無く直接庭に面しています。そして、ガラス建具は当時としてはとても大きなサイズです。これは全て庭をよく見るためのものです。そのため部屋に座って外を眺めますと、目の前に豊な庭が実に見事に広がります。客間は庭の自然(林間)に放り込まれた小屋という感じがします。東洋人が理想とする「竹林の中のあばら家」の風情です。

写真-4:間取り図(横山大観記念館)鉦鼓洞(しょうこどう)

客間の「鉦鼓洞」という名は、大観が一時期住んだ茨城県の五浦の住いの崖下にあった洞窟の名前から取ったものです。大観はかつて一時期「鉦鼓洞主」と号し、印鑑にも用いていたということです。大観のこのような思い入れからしますと、客間は庭の自然に穿った洞穴みたいなものにも見えてきます。

林間、酒を酌み交わす

横山大観の酒好きは有名です。大観は客が来たときなどは、1階の客間で自分で酒の燗をし、客と酒を楽しんだそうです。囲炉裏を使ったのでしょうか、まさに「林間に紅葉をたいて酒をあたためる」ですね。その時の大観の境地は、彼岸(庭園)と此岸(部屋)を隔てる窓もなくなり、空堂となった客間に座している気持ちではなかったでしょうか。

横山大観記念館(開館日は木・金・土・日)
東京都台東区池之端1-4-24 TEL:03-3821-1017
千代田線「湯島駅」より徒歩7分

※協会機関誌「木芽」2012年秋号(Vol.145)より転載

参考文献

横山大観記念館の各種パンフレット

根岸俊雄

建築家 : 根岸俊雄(ねぎしとしお)

根岸俊雄都市建築事務所:代表取締役

平成12,13,20年度「彩の国さいたま景観賞」受賞

著作「住まいは十の箱づくりから」、「おばあちゃんちの楽しかった土間」

木住協 木造ハウジングコーディネーター研修講師

根岸俊雄ホームページはこちら

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